武雄神社|七五三、厄祓、祭典、神事、参拝、祈祷

武豊町武雄神社

【武豊町】町名由来の逸話

鎮守さまの名前を -武豊村の誕生-

・・・・「長尾村の氏神さまは武雄神社で、大足村の氏神さまは豊石神社です。
両方の氏神さまの頭文字をいただいて、【武豊】にしたらどうか?」

会場は、拍手喝采し、満場一致で、新たな地名が誕生しました。

これは、当時の二つの村が合併する際に、とある場所で執り行われた、
歴史深きあるお話しです。

かつて、愛知県知多郡の武豊町(武豊村)は長尾村と大足村というそれぞれ独立した村でした。
しかし、ある時、行政の方針により『長尾と大足は一つの村になりなさい』というお達しが出ました。
もちろん、2つの村が合併して大きくなるということは歓迎すべきことでしたが、問題は合併後の村名をどうするかということでした・・・・

新しい村名には、いろいろな案が考出されましたが、まず、長尾・大足の2つの村の名前から文字をとって、新しい村名としようという流れになりました。
よって、長尾の【長】と大足の【大】の文字をとって、長大村、もしくは大長村という案が出されました。

ここからが問題のはじまりです。
長大か?大長か?どちらの村の頭文字が最初とするのかで意見が分かれてしまいました。
長尾村の人々は長大村、大足村の人々は大長村が良いと言って、お互いに譲りません。

多数決で決定してしまえば、住民の数が多い長尾村が圧倒的に有利で、長大村になってしまします。
しかし、多数決で少数派の意見を切り捨ててしまえば、長尾が上、大足が下と決めつけてしまうことになります。長尾村、大足村、共にそれは避けたいことでした。

そこで、両村の長老達は、「お互い各々の村名を頭文字にしたがるのは、当然じゃ。両村とも、思い入も誇りもある。だからお互いの譲れない所はそのままにして、何かお互いが共通して尊敬しているものを探そう。」と、言い出し、こんな案が持ち出されたのです・・・
「両村の氏神さまの頭文字をいただいて、「武豊」村にしたらどうか?」と。

長尾村の氏神さまは武雄神社でしたが、隣村の豊石神社にも尊崇の念を抱いています。
それは大足村の人々も同じで、氏神は豊石神社ですが、隣村の武雄神社にもまた尊崇の念を抱いていました。
また、何よりも「氏神さま・鎮守さまには上も下もない」との答えを導き出しました。

そして、お互いに譲らなかった議論はついに集結し【武豊村】が誕生しました。

これは村の中心である氏神さまを通じて、しっかり固まっていった当時の人々のすばらしい合意案でした。

そしてそれは、決して多数決でどちらかの意見を決定するのではなく、
お互いに歩み寄り、意見の違いは違いとして残して、共通して尊敬出来る所を探すという、
日本古来からの民主主義の姿勢の表れでもありました。

全国的にみても、「両村の氏神さまの社名」を合わせた地名はほとんどありません。
我が町に連綿として残る誇り高き逸話です。

※この逸話は、武豊町教育委員会著の「武豊町むかしばなし」と当時の該当者の言い伝えを基に、意訳したものです。

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